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"I Have a Dream"マーティン・ルーサー・キングJr.演説Ⅰ〈1963.8.28〉

人種差別が当たり前だったアメリカ、63年当時、
非暴力を唱え先頭を切って走り続けた男マーティン・ルーサー。
25万人の聴衆を前に静かに語り始めた。おそらく、死も念頭に置いて。
後の世に語り継がれることになる、『人間の尊厳』を訴えた勇気あふれる名スピーチ。
偉大な息子であり、偉大な父であり、偉大な男であった。偉大な人間が、ここにいた。

 この翌年64年に公民権法が成立。ノーベル平和賞受賞。66年投票権法成立。
 68年4月4日、メンフィスにて凶弾に倒れる。享年39歳。

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〈"I Have a Dream" マーティン・ルーサー・キングJr.
 -1963年8月28日リンカーン記念公園〉

本日こうして皆さんとこの場に居合わせたことをとても幸せに思います。
これからここで始まることは我々の建国史上、最も偉大な自由のデモンストレーション
として歴史に刻まれることでしょう。

今から100年前、ある偉大なアメリカ人、今の我々にも多大な影響を及ぼした人物
(リンカーン)が奴隷解放宣言に調印しました。
それは不当な処遇に晒され感情らしい感情を焼き尽くされてしまった何百万人という
黒人奴隷に明るい希望の松明を掲げる重大な決定でした。捕われの身で過ごした
長い夜の果てに見た一条の光、歓喜に満ちた夜明けの光だったのです。

ところが100年経っても黒人はまだ自由になっていない。
100年経っても悲しいことに、黒人の暮らしは差別の鎖でがんじがらめにされ
手足の自由をもがれたままです。100年経っても黒人はモノが無尽蔵に広がる
豊饒の海にポッカリ浮かぶ貧困という名の孤島の住人。
100年経っても黒人はアメリカ社会の片隅に追いやられ、ふと気付けば自分の土地に
いながらにして異郷の流刑人な自分がいる。だから我々は今日ここに集まった。
この恥ずべき状況をドラマに置き換えるために。

ある意味、我々がここにこうして集まったのは首都で手形を換金するためなのです。
本共和国の土台を築いた先人は憲法発布と独立宣言の格調高い文を起草した折、
米国民一人一人が相続すべきある約束手形に署名しました。
それは全ての人、そうです、黒人も白人も含めありとあらゆる人に
生命、自由、幸福の追求という奪うべからざる権利を保証する手形でした。
しかし有色人種に限ってみれば今日明らかなようにアメリカは約束を反故にした。
この神聖な義務を履行する代わりにアメリカがしてきたことは、黒人に不渡り手形を
切ることでした。小切手は「残高不足」の印をつけて戻ってきた。

ですが、だからと言って私は正義の銀行が破綻したとは思いたくない。
この国が与えてくれるチャンス。その巨大な金庫が残高不足だなど
私は頑として信じない。
だから、だからこそ今日我々は手形を換金に来たんです。
自由と正義の豊かさを我々に保証してくれるはずのこの約束手形を持って。

今日この神聖な場に集まったもう一つの目的、
それはアメリカが今すぐ取り掛からなくてはならない課題を
社会に提起することにあります。
もう頭を冷やせなんて贅沢を言ってる場合ではないのです。
ゆっくりやればいいなどと気休めを言っている暇はない。

Now is the Time. 民主主義を実現するのは今をおいて他にない。
Now is the Time. 今こそ暗い人種差別の荒んだ谷から立ち上がって
                平等という日の当たる道に進もう。
Now is the Time. 今こそ我が国を差別というぬかるみの泥沼から友愛という
                揺るぎない岩に引き上げよう。
Now is the Time. 今こそ神の子すべてに正義を実現する時なのです。

この差し迫った課題をウヤムヤにすることは、国家の存亡に係わる由々しき問題です。
黒人が法的処遇に満足のいかない状況はうだる灼熱の夏同様、自由と平等の爽やかな
秋の訪れまで続くでしょう。
1963年、それは終わりではなく始まりの年。
黒人が頭を冷やして現状に満足さえすれば済む、そう考えている人もいざ国が元通りの
状態に戻ったら、きっと後味の悪い気分に苛まれるはずなんです。
黒人に真っ当な市民としての権利が与えられない限りアメリカには一刻として
安息も平安も訪れるということがない。
反乱の渦は、正義の明るい日が昇るまで我々国家の土台を揺さぶり続けるでしょう。

ここでひとつだけ、正義の殿堂の暖かな入り口に立つ同志には断って
おかなければならないことがあります。正しい居場所を確保するまでは、
まかり間違っても過ちを犯さないこと。嫌味や嫌悪の杯で自由の渇きを
癒すことだけはやめようじゃないですか。
闘争は尊厳と規律をもって進めていかなくては駄目です。
抗議行動は創意工夫をもって行い、暴徒にだけはなり下がらない。繰り返します。
物理的な力に魂の力で立ち向かう、
その高みを我々は目指していかなくてはならないのです。

黒人社会は今また新たな厳戒体勢に包囲されています。
これはとても信じがたいことです。
でもだからと言って白人すべてを不信の目で見るのはやめにしようじゃないですか。
白人の同胞が今日ここにたくさん集まっておられることでも分かるように、
彼らの中にも白人が我々と命運を共にする運命にあると見透した人は大勢いるのです。
彼らは我々の自由なしに自分たちの自由は有り得ない、それが分かる人たちです。

我々は一人では歩いていけない。
歩き出したら前進あるのみ、そう心に誓おう。
もう後戻りは、できない。

公民権運動に駆けずり回る人を捉まえて、こう尋ねてくる人がいます。
「君らはいつになったら満足するんだね?」。私ならこう答えるでしょう。
黒人が警察に残虐非道な扱いを受け、
口にするのも憚られる恐怖の犠牲となっている間は満足できない、と。
旅先でヘトヘトになった体を休めたくともハイウェイ沿いの
モーテルにも市街のホテルにも泊まる場所ひとつ見つからない、
この状況が改善されない限りは決して満足できない。黒人の引越しと言えば
小さなゲットーから大きなゲットーに移るだけ、子どもたちは「白人専用」の
看板で尊厳を傷つけられている、こんなことが続く間は決して満足できない。
ミシシッピ州の黒人には投票権がない、ニューヨーク州の黒人は投票すべきものが
何一つないと思い込んでいる、こんな状態では決して満足できない、と。
まだまだ、まだ満足なんて状況には程遠いんです。

「正義を洪水のように恵みの業を大河のように尽きることなく流れさせよ」
(アモス書5:24)。
その日が来るまで我々は決して満足することなどないでしょう。

ここに集まった皆さん。皆さんの中には大変な困難や試練を乗り越えてきた方も
おられるでしょう。狭い独房から出てきたばかりの方。自由を求めた途端に迫害され、
警察の蛮行を前に手も足も出ない地域から来られた方。
皆さんは我々が想像しうる限りのありとあらゆる試練に揉まれてきた百戦錬磨の兵です。
試練はいつかきっと贖われる、そう信じてこれからも頑張っていこうじゃないですか。

ミシシッピに帰ろう。アラバマに帰ろう。サウス・カロライナに、ジョージアに、
ルイジアナに、北の都会のスラムに、ゲットーに、帰っていこう。
きっとこの状況は変えることができるし、絶対変わっていく、そう心に信じて。

絶望の淵に溺れてしまっては、いけない。
同志よ、今日私は皆さんにそう言いたい。


<続く>

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