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指定避難所で何が 東松島・野蒜小 証言で振り返る大津波/河北新報社

18.04.2011
指定避難所で何が 東松島・野蒜小 証言で振り返る大津波
東日本大震災の巨大津波は、自治体の指定避難所までのみ込んだ。「ここに逃げ込めば助かる」と疑いもしないまま犠牲になった人も少なくない。東松島市の野蒜小もその一つだった。あの時、何が起きていたのか。証言を基に再現する。
(藤田杏奴、野内貴史)

◎午後2時46分/徒歩や車で住民続々/ここは安全のはず

 3月11日午後2時46分。放課後の野蒜小には5、6年生約60人が残っていた。激しい揺れで電気が消えた。揺れが続く。子どもたちはおびえきっていた。
 直後から野蒜小には、子どもの安否を気遣う家族や近隣住民、高齢者施設の職員に付き添われたお年寄りらが、徒歩や車で続々集まってきた。
 多くの人が体育館に誘導され、校庭や近くの亀岡公民館にとどまる人もいた。
 住民たちの動きは素早かった。教職員と協力して避難車両を誘導し、校庭の一角に仮設トイレを組み立てようとする人もいた。亀岡公民館では、女性たちが中心になって炊き出しの準備を始めていた。
 「すごい揺れだったなあ」「家の片付け、どうする?」。校庭ではそんな会話が交わされていた。
 地元の消防団員斉藤剣一さん(53)は、野蒜小から離れた場所で大津波警報の発令を知らせる防災無線を聞き、車で野蒜小へ向かった。「野蒜小まで津波が来るとは考えていなかった」
 野蒜小周辺は1960年のチリ地震津波でも被害がなかった。東松島市が2008年に東北大の監修で作った津波防災マップの浸水想定区域にも入っていない。
 「津波が来ると分かっていれば、みんな逃げた。多くの人が『ここは安全』と思っていたはずだ」と斉藤さんは言う。
 体育館の中。「大丈夫、落ち着きましょう」。野蒜小校長の木島美智子さん(54)はステージ近くに立ち、ハンドマイクで子どもたちや住民を励ましていた。
 「先生、津波が来るって」。携帯電話を持った保護者が駆け寄ってきた。既に市との連絡手段は絶たれ、指示もなかった。「現場で判断するしかない」。木島さんがそう思ったとき、体育館の入り口付近でワゴン車が浮いている光景が目に飛び込んできた。
 次の瞬間、体育館に水が流れ込んできた。

◎午後3時52分/泥流高さ3メートルに迫る/水、一気に背丈超す

 「ステージに上がって、上がって!」。木島さんが呼び掛けている間にも、水かさは増していった。
 複数の住民の証言によると、野蒜小に津波が到達したのは地震の66分後、午後3時52分ごろとみられる。
 水は木島さんの膝まで来た後、一瞬の間を置いて一気に150センチの背丈を超えた。渦に巻き込まれた。以前教わった着衣泳を思い出し、力を抜いて浮かぼうと試みた。浮かんでいたマットにつかまり、2階のギャラリーにいた人に引き上げられた。
 泥流は高さ3メートルのギャラリーの床ぎりぎりまで達していた。木島さんが震えながら下を見ると、水の中でもがいたり、浮き沈みする人たちの姿があった。
 ギャラリーに逃れた人が、紅白幕をロープ代わりにして投げ込んだ。ステージ脇のカーテンにしがみつく人もいた。
 斉藤さんは体育館の入り口付近にいた。「ゴゴゴゴゴ」という低い音とともに「津波だ」「逃げろ」という叫び声を聞いた。校庭に止まっていた数十台の車が、渦を巻いて流され始めた。自分に向かって来る車をよけようと、体育館に飛び込んだ。
 とっさにバスケットゴールの鉄柱につかまった。母慶子さん(79)の手を握ったが、水かさが増すうちに離れ離れになった。
 何回も水を飲んだ。鉄柱から流され、死を意識した時、伸ばした手の先がギャラリーの縁に触れ、助け上げられた。慶子さんも別の人に救助されていた。
 「寒くて、寒くて。震えが止まらず、しゃべれなかった」と斉藤さん。窓越しに降りしきる雪が見えた。ギャラリーには150人以上がすし詰めだった。
 マットを浮かべ、一人でも多く助け上げようとしている男女がいた。
 「野蒜小、ファイトー」。子どもたちが叫んでいた。

◎午後10時30分/ようやく水位が下がった/暗闇、呼び合う親子

 体育館の中の水は、日が暮れても引かなかった。行方不明のわが子を捜そうと、必死に水をかき分けて体育館に入ってくる来る父親たちもいた。
 子どもの名前を繰り返し呼ぶ親と、「お父さん」「パパー」と応じる声が、暗闇の中で交錯した。
 「1人だけ、何回呼ばれても返事のない子がいた」。斉藤さんは鮮明に覚えている。
 午後10時半ごろ、ようやく水位が下がったのを見計らって脱出作業が始まった。校庭には泥水がたまり、がれきや車が折り重なっていた。
 消防団員や父親らが、板や畳で橋を造り、子どもとお年寄りを誘導した。全員が校舎に移動できたのは真夜中だった。
 この間、多くの人がぬれた服のままで待っていた。割れた窓から吹き込む冷気とギャラリーの床が体温を奪っていった。お年寄りらが低体温症で次々と息を引き取った。
 木島さんは「体育館の1階フロアで10人ぐらい、ギャラリーで8人ぐらいが亡くなったと思う」と証言する。
 斉藤さんは振り返る。「校舎に移った後も、暖房もなく、そこで亡くなったお年寄りがいた。校庭にも遺体があった。現実と思えない光景だった」

◎その後/繰り返したどる「あの日」/校舎に逃げれば…

 体育館は震災翌日の3月12日以降、付近一帯で見つかった犠牲者の仮安置所になった。13日には、100人以上の遺体が運び込まれた。
 「最初から体育館を使わず、校舎に避難していればもっと多くの人が助かったのではないか」。犠牲者の遺族からは、そんな声が上がっている。
 木島さんが当時、最も心配したのは、余震による校舎の倒壊だった。脳裏には2月のニュージーランド地震で崩れ落ちた建物の映像があった。
 動揺する子どもたちを落ち着かせるのに必死だった。「冷静に外の様子を確認する余裕はなかった」と木島さんは語る。
 震災から1カ月あまり。繰り返し繰り返し、あの日の行動をたどった。「あの時点でできる最善の判断だった」。同時に「津波に対する甘さがあった。校舎を避難場所にできればよかった」という思いも消えない。
 「6メートルの津波が予想されます」(午後3時)「(石巻市)雄勝で9メートルの津波を観測しました」(午後3時47分)。東松島市の記録では、防災無線は切迫した状況を伝えたはずだが、午後3時ごろに野蒜小に到着した斉藤さんは「聞こえなかった」と言う。
 住民の証言や目撃情報によると、津波に襲われた指定避難所は野蒜小のほか、鳴瀬川河口に近い新町コミュニティセンターなど市内に複数あるとみられる。
 東松島市防災交通課は「避難所にまで津波が来たという情報はあるが、今は野蒜小を含め、避難所で亡くなった人の数や状況まで確認できる体制ではない」と話している。

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20.04.2011 asahi.com
「津波は3メートル」…その後放送できず被害拡大 釜石
東日本大震災で津波を知らせる防災行政無線の放送内容は、被災した沿岸自治体ごとに違っていた。予想された津波の高さを知らせず、「とにかく逃げて」と訴えて功を奏した自治体もある一方、「高さ3メートル」と放送したため、2階に避難すればいいと判断して被災した人が多い自治体もある。行政は何をどう伝え、市民はどう対処すべきか。課題を残した。

 3月11日、気象庁は地震発生3分後の午後2時49分に大津波警報を発令し、1分後に岩手県には高さ3メートルの津波が来ると予想した。これを受け、岩手県釜石市は午後2時50分と同52分に「高いところで3メートル程度の津波が予想されます。海岸付近の方は直ちに近くの高台か避難場所に避難するよう指示します」と市内96カ所のスピーカーで放送した。

 気象庁は津波予想を、午後3時14分に6メートルと切り替え、同31分に10メートル以上とした。しかし、市は停電で気象庁情報を伝えるメールを県から受け取ることができなくなっていた。この間、避難を指示する放送を6回繰り返した。

 その結果、市民の中には「津波は3メートル」と思い込み、2階に避難すれば大丈夫と判断した人が多かった。実際には、釜石港には約9メートルの津波が押し寄せたとみられている。

 2階建ての同市鵜住居(うのすまい)地区の防災センターには周辺住民150~200人が駆け込んだが、2階まで被災し生存者は約30人だった。避難した古川悌三さん(72)は「もっと高い津波と知っていたら山に逃げた」と話す。

 同市の漁師坂本正男さん(55)は地震発生時、海辺の倉庫でワカメの加工作業をしていた。立派な防潮堤があるので、3メートルの津波なら避難しなくていいだろうと思ったという。だが、外に出てみると、すさまじい音が海から聞こえ、慌てて逃げた。「妹と義兄も見つかんねえ。こりゃあ人災じゃねえか」と憤る。

 市防災課は「確実な情報が得られない中で精いっぱいやった」としている。

 一方、隣の岩手県大船渡市は当初から津波の高さを言わず、大津波警報の発令と高台への避難のみを呼びかけた。市防災管理室は「津波は湾によって高さに差が出るので、誤解を与えないようにしている。警報の発令さえ知らせれば逃げてもらえる」という。

 大船渡港を襲った津波は約9.5メートルとされる。同市の死亡・行方不明者は約500人。一方、釜石市は1300人を超えた。

 岩手県山田町は「3メートル以上」と放送した。その後、予想される津波の高さが6メートルに切り替わったことをテレビで確認し、放送の準備をした。しかし、消防署庁舎から津波が見えて、全員が屋上に避難し、放送できなかった。

 同町の田老邦光さん(52)は「3メートル程度の津波と思い込み、自宅の2階に避難した人が大勢いる。自分も堤防を越える津波を見て慌てて逃げた」と話す。職員の間からは「ただ『逃げてください』と連呼した方がよかったのでは」との反省も出ているという。

 市街地がほぼ壊滅した陸前高田市と大槌町では資料がすべて流されてしまったため、どんな放送をしたかわかっていない。

 宮城県では当初から6メートルの大津波警報が出ていたが、放送内容は自治体によって違っていた。南三陸町では、地震直後から「6メートルの津波が来ます」と防災無線で呼びかけた。無線を聞いて高台に避難した町民も多かったが、実際の津波は15メートルを超えており、3階建ての防災対策庁舎が水にのまれて、多くの町職員が犠牲になった。

 同県気仙沼市の対策本部によると、3月11日当日は、気象庁の大津波警報が出た時点で防災無線を使って避難を呼びかけた。具体的な津波の高さを明示して注意を促したかどうかは記録が残っていないが、「とにかく高台に避難を、と徹底的に呼びかけた」という。

 群馬大大学院災害社会工学研究室の片田敏孝教授は「速報性を重視する気象庁が初期段階で発表した3メートルという数字が独り歩きしてしまった。津波速報の活用方法を、行政も市民も見直す必要がある」と話す。(青木美希)

19.04.2011 47NEWS
▽ 地震は予知できないのか
先週47NEWSで一番読まれた記事は、米国出身のロバート・ゲラー東大教授(地震学)が「地震は予知出来ない。日本政府は不毛な地震予知を即刻やめるべきだ」と提言した、というニュースだった。記事が公開された当日の4月14日だけでヒット数が20万を超え、通算ランキングで30位以内に入った。
 言うまでもなく、大地震やそれに伴う大津波が事前に予知できていれば東日本大震災のような甚大な被害は避けられたかもしれない。原子力発電所の立地や建設の計画策定に際しても十分な備えをとることが出来ていたかもしれない。予知ができるか、できないのかは地震多発国に住んでいるわれわれとしては関心を持たざるをえない。
 ゲラー教授の提言は世界的に権威がある英科学雑誌ネイチャー(電子版)に掲載された。
 教授は、いつ(日時)、どこで(震源地)、どれくらいの規模(マグニチュード=M)で地震が起きるかを科学的に予見することは現在の地震学では不可能だ、と断定している。予知できるためには地震が起きる前に何らかの前兆現象をとらえる必要があるが、「近代的な測定技術では(前兆現象を把握できる方法論は)見つかっていない」、と指摘。日本国内では1979年以降、10人以上の死者がでた地震は発生する確率が低いとされていた地域で発生している、と分析している。
 そしてM8クラスの東海・東南海・南海地震を想定した地震予知は方法論に欠陥があるとして、政府の地震予知対策の根拠になっている78年の大規模地震対策特別措置法を廃止すべきだ、と訴えている。
 教授によると、60年代にプレートテクトニクス理論が普及すると、70年代には同理論に基づいて地震予知が出来るのではないか、と数多くの科学者が研究に取り組んだ。しかし有効な方法論が確立しないまま、現在では大半が手を引き、研究を続けているのは日本の学者だけなのだそうだ。
 もちろん教授は、予知が出来ないのだから事前の予防対策を講じなくてもよい、と言っているわけではない。1896年に起きた明治三陸地震は最大38メートルの津波が来襲し、869年の貞観地震でもそれに近い津波が襲った記録があるのだから、今回の大震災が「想定外」だったとは言えないはずであり、福島第1原発を設計する段階でそれなりの対策が立てられていてしかるべきだった、とも述べている。予知は出来なくても備えは必要だし、予防は出来る、ということのようだ。
 筆者は専門家ではないから、ゲラー教授の言うことが正しいのかどうか、にわかに判断はつきかねる。地震の発生確率についても実はよく理解できない。例えば、今回の大震災が起きる前、次の宮城県沖地震は今後30年以内に99%の確率で発生する、といわれていた。結果から見れば、この予測は外れてはいなかった。
 ならば当たっていたのか、ということになると、うなずくにはためらいが生じる。被害の甚大さに対して、数字のあいまいさが釣り合わないのだ。
 予知は出来ない、と断言されるのも困惑するが、30年というこれほど大ざっぱな数字をあげて「当たっていた」と言われても挨拶に困る。なんとかして欲しいものだ。
(2011年4月19日 今井 克) 



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