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3/11のあの瞬間はそれだけで終わらず

25.04.2011 フィナンシャル・タイムズ
3/11のあの瞬間はそれだけで終わらず
(フィナンシャル・タイムズ 2010年4月20日初出 翻訳gooニュース) ミュア・ディッキー東京支局長

3月11日午後2時46分にマグニチュード9の地震が日本を襲った時、全てが変わった。そして何も変わらなかった。

この地震による津波は、目前の海岸線を破壊し、25年来最悪の原子力事故を引き起こした。日本はここ十数年間ずっと道に迷っている様子だったが、この地震によって一瞬にして、何が大事なのかの優先順位が定まった。

しかし大震災も、放射性物質が漏れ続ける福島第一原発の事故も、それ自体が日本の重要課題を解決するわけでは全くない。日本が直面する課題の重みが、震災や原発事故で軽減されるわけでもない。日本は今でも、脆弱な政府、非生産的な政治、活力に欠けた成長、急増する公的債務の問題を抱えているのだ。

大地震とそれによる悲惨な被害は、当然のように「3/11」と呼ばれるようになった。そしてこの「3/11」は世界第3位の経済大国にとって、ひとつの分水嶺となった。3万人近くが押し流されてしまったあの光景は、国民の意識に深い傷を残した。日本はかつて敗戦の焦土と放射能の灰の中から立ち上がり、自慢の政治経済体制を作り上げた国だ。しかし自分たちの政治や経済に対する国民の自信は、このところ損なわれていた。原発の安全対策が地震を前に無残な結果をもたらしたのを目の当たりにして、自分たちの政治経済体制に対する日本人の不信はさらに高まるだろう。

東京大学の政治学者、御厨貴教授に至っては、震災によって「『戦後』が終わり、『災後』が始まる」と宣言している。御厨教授は月刊『中央公論』の最新号で、1945年に始まった時代を終わらせる「次の共通体験」が必要だった、「そこに容赦なく『3・11』がやってきた」と書いているのだ。

事態を楽観視する人たちにとっては、第2次世界大戦の悲惨な結末とその後の展開が、前向きな材料となっている。菅直人首相は、戦後日本の奇跡的な復興に学ぶべきだと言う。1946年生まれの首相にとって、戦後の復興は彼自身の人生の大半を彩るものだったからだ。首相は最近、報道陣に対して、幼少期の思い出を披露している。首相が子供のころ、家では不発の焼夷(しょうい)弾に付いていた鉄の重りがキュウリの漬け物を作る漬け物石として使われていたというのだ。「太平洋戦争の時の復興の気持ちを改めて思い出し、かみしめて今回の大震災の復興に当たろう」と首相は呼び掛けた。

3月の大震災の被災者たちはすでに、見事なお手本を身をもって示している。時には言葉にならないほどの被害に遭いながらも、破壊された町村の住民たちは沈着冷静に落ち着いて行動している。福島原発から漏れる放射性物質に脅かされている地域の人たちも、同様だ。これがもっと脆弱な社会でのことなら社会そのものが大混乱に陥り破綻していたかもしれないが、日本ではそういうことは一切起きていない。

世論調査によると、日本の有権者は復興費用を払うための増税には賛成だという結果が出ている。これは日本社会の団結力を反映するものだ。毎日新聞の世論調査では回答者の58%がこうした増税に賛成しており、反対はわずか33%だった。

もとより日本の人たちは被災地を懸命に応援している。4月12日の時点で日本赤十字には1240億円もの義援金が集まっている。これは1995年の阪神大震災の1カ月後に日赤その他に集まった計810億円をはるかにしのぐ額だ。

阪神大震災がそうだったように、日本の公的機関は「3/11」をきっかけに民間団体や非営利組織(NPO)の役割を前より受け入れるようになるだろう。政治家に転身する前は市民活動家だった菅首相は、今後の復興にこうした民間団体が中心的な役割を担う必要があると述べている。

被災地の多くはそもそも経済停滞や高齢化の問題を抱えていた。そして首相は、津波に呑み込まれた町村の跡地に前よりも力強いコミュニティーを作ろうと考えている。菅首相は、未来の夢を先取りする新しい未来の社会づくりを提唱。バイオマス燃料をエネルギー源とするエコタウンを造れば、持続可能な社会の手本にすることができるというのだ。

地震と津波は福島第一原発だけでなく、ほかの発電所にも打撃を与えた。そのために電力不足が生じている事態を受けて、環境保護派の期待は高まっている。多くの企業はすでに節電対策として不要な電気を消し、不要な機器を止めている。日本はすでに世界で最もエネルギー効率の高い経済大国なのだが、それでもまだあるエネルギーの無駄遣いが、こういう節電によってさらに減るのではないかと期待されている。

安心の種はほかにもある。この6週間、震災は世界のサプライチェーンに大きな打撃を与え続けた。そのせいで、いかに日本が未だ重要な経済大国か、世界は再認識することとなった。ましてや、最も深刻な被害を受けた東北地方は、決して日本の産業中心地とは言えないのだが、それでもこれほどの影響を世界に与えたのだ。

需要不足に苦しんできた日本経済において、地震と津波の甚大な被害はそれ自体が新しい需要を生み出すきっかけとなる。8万5000棟もの住宅を再建する必要があるし、失われた車20万台を補充しなくてはならない。港湾や工場、その他のインフラ施設の復旧は言うまでもない。電力不足が供給面の足かせになりかねない状況と合わせると、日本を10年以上苦しめてきたデフレは今回の震災でついに終わるのではないかという意見もある。

しかし16兆円~25兆円の損害額のほとんどはおそらく、すでに財政逼迫している政府が負担することになるだろう。地震が起きる前から、国家の総負債額は2011年国内総生産(GDP)の200%以上になる見通しだったし、国債発行高は3年連続で税収額を上回るとされていた。

日本には巨額の国内貯蓄があるので、政府は簡単に財政赤字を埋められるだろうが、支出を増やせばその分だけ、支払いを迫られる時期が前倒しになるはずだとアナリストたちは警告する。調査会社キャピタル・エコノミクスのデビッド・リアは「今後さらにショックがあるようなら、政府は支払い可能なファイナンスを確保できなくなる、その分岐点が訪れるかもしれない」と書いている。

菅首相をはじめ複数の政治家は、日本の財政再建の必要性を強調してきた。しかし首相が身動きできる範囲は限られている。民主党はひどく内部分裂しているし、参院を支配する野党は民主党法案の成立を妨害できるからだ。

震災直後は、一致団結を求める国民感情が、従来より生産的な政治を可能にするかと思えた。民主党関係者は、かつての長期与党・自民党との大連立の可能性を口にしていた。あるいはせめて復興法案では緊密に協力できるかもしれないと語っていた。どの政党に対しても国民の信頼感はきわめて低調だと、多くの政治家は痛いほど実感している。

民主党の衆議院議員で内閣府特命担当大臣(防災担当)だった中井洽氏は、国民を元気づける政治が必要だと話す。政治家や政党がつまらない内輪モメに興じている場合ではないとも言う。

しかし、はかない休戦はすでにひび割れている。スキャンダルにつきまとわれている小沢一郎元代表が菅首相について「リーダーシップが見えない」とまで言うなど、首相は党内からも批判にさらされている。2009年に総選挙で敗れた傷がまだ癒えない自民党は、首相下ろしの攻勢を再開した。自民党の谷垣禎一総裁は「これ以上この体制で行くことは国民にとって極めて不幸だ」と述べている。

震災直後、これで菅首相は救われたかに見えた。震災前の支持率は危険水域にまで低下していたし、震災発生の数時間前に発覚したささやかな政治資金問題のせいで首相の行く末は不透明なものになっていたのだ。しかし首相は、危機下の指導者という新たな役割をなかなか担いきれずに入るし、内閣支持率はわずかにしか回復せず、まだ20~30%台だ。菅首相がこれほど覚束ないなら、くるくる回る日本の首相交代の回転ドアはまた一回りしかねない可能性が出てきた。

津波がもたらす一大危機に日本の政治家がきちんと応えられなかった場合、その影響は広範囲に及ぶかもしれない。うまくすれば、政策論議につながる政界再編を促すかもしれないが、下手をすれば、危険なポピュリズムやナショナリズムを呼び覚ましかねない。あるいは、近年の日本を苦しめてきた膠着状態が当面続くこともあり得る。

3月の大震災はあまりにも甚大な被害をもたらしたが、それでもこの国を本当の意味で作り替えるには至らないかもしれないというのが、現実なのだ。住宅や社会インフラ、民間の生産施設やその他の資産に対する損害は、名目GDPの3~5%に相当すると推測されている。しかし日銀によると第2次世界大戦での被害はGDP比86%、1923年の関東大震災でさえ同29%だった。それと比べると今回の震災被害の3~5%はいかにも小さい。

太平洋戦争と1923年の大震災は共に首都を壊滅させたが、「3/11」で被災したのはもっぱら田舎とみなされてきた地域だった。放射性物質の漏洩が止まり電力不足が落ち着けば、東京の生活は瞬く間に元通りに戻るだろう。少なくとも、東京そのものが大地震に見舞われない限りは。

国民的な「共通体験」の話も、オーバーなのかもしれない。被災した東日本とまったく無傷な西日本では、消費者マインドも相当異なる。だからこそたとえば日本最大のネット小売り「楽天」は、利用者に最初に見せる商品を東日本と西日本で変えているのだ。楽天の創始者・三木谷浩史氏によると、東日本の客は懐中電灯やペットボトルの水を求めていたが、西日本の人たちは防災用品にそれほど関心がなく、スーツやバッグやぜいたく品をほしがっていたのだという。

政治学者の本田雅俊氏は、地震と津波によって本物の国民団結の瞬間がもたらされたのだが、原発事故の危機に対する菅首相の対応がパッとしなかったせいで、改革の機会は失われてしまったと話す。日本が新国家を再建するチャンスがあったのに、リーダーシップ不足のせいで失敗してしまったのだと。

社会として、そして経済として、日本は今でも成功している。第2次世界大戦の時のような、全てが壊滅してしまうほどの事態の再来など、誰も望んでいない。たとえ津波や原発危機が戦争ほどの一大転換点にならないとしても、危機があらわにしたあからさまな問題点については対策がとられるはずだ。たとえば効果のなかった原発安全体制の見直しは、言うまでもない。

元日銀理事の緒方四十郎氏は、エリート層によるここ数十年来のリーダーシップに対する不満の高まりが、変化の原動力になり得るかもしれないと見ている。

「この国はよい兵隊とだめな指揮官の国だと、私はよく冗談めかして言うのだが、同感の人は増えていると思う」と緒方氏は言う。政治指導層の質を向上させるのには時間がかかるとも。「変化が来るのを期待するが、それには時間がかかると思う」。


フィナンシャル・タイムズの本サイトFT.comの英文記事はこちら(登録が必要な場合もあります。日本人の発言文言は英語の原文から日本語に翻訳したものです)。
(翻訳・加藤祐子)
翻訳gooニュース http://news.goo.ne.jp/article/ft/world/ft-20110425-01.html?pageIndex=1



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