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「作戦」の観点から見た「東日本大震災」への対応

29.04.2011 菅 博敏/JBプレス
「作戦」の観点から見た「東日本大震災」への対応
はじめに
2011年3月11日14時46分、500年に1度とも言われる巨大地震が東北・関東地域を襲った。「東日本大震災」の発災である。その直後、20メートルとも30メートルとも言われる大津波が太平洋沿岸を襲い、3万人に近い尊い人命と家屋・港湾・田畑等を跡形もなく破壊したのである。

 今回の地震は時間の経過とともに、その影響の大きさを痛感させられる。それは今までに経験したことのない複合災害だからである。

 第1に、マグニチュード9(M9)というエネルギーを持った地震、第2に想像を超えた津波、第3に福島第一原子力発電所の事故、第4に青森から茨城に至る広域、さらに追加するとすれば地方自治体そのものが大きな被害を受けて機能不全に陥ったことである。

 さらに政治体制について見てみると、平成7(1995)年の阪神・淡路大震災の時は村山富市政権であり、今回は青息吐息の菅直人政権の時である。日本最大の国難の時に弱体政権とは、日本国民にとって真に国難である。

 今回の地震から色々な教訓を得ることができる。第1に政府・地方自治体・企業等の危機管理体制の欠如である。危機とは、自然災害・人為災害等の災害、60年安保・70年安保改定の時のような治安、そして最大のものは国家防衛と極めて範囲が広い。

 危機への対応は、まず危機的な状況を作らないことであり、未然に防止できるようにあらゆる手段を駆使するとともに、保険がかけられるものはかけておくことが重要である。

 次に最悪な事態を想定して対策を確立しておくことである。最後に危機が生起した場合は迅速・的確に対処し、被害の拡大を阻止(初動対処が重要)することである。第2は福島第一原発事故発生後の「対応のまずさ」である。

 危機管理については別の機会に委ねることとし、本稿においては軍事行動における「作戦」の観点から特に初動対処は良かったのか、指揮官の位置は如何にあるべきか、緊急事態における組織はいかにあるべきか、指揮官の決心とは、原発事故対応作戦は主動的に行われたのか、について考察することにする。

1. 初動対処は良かったのか

 1995年に起きた阪神・淡路大震災の時は、自衛隊の初動対処が悪いとマスコミから随分報道された。実際のところ、自治体との平素からの連携不十分、要請の遅れ、部隊の進出経路の渋滞などから少し遅延したことは事実のようであるが、初動が極端に遅れたということはない。

 そしてこの震災を契機に、教訓を生かして改革が行われたのである。

 法体系の整備については、派遣要請の手続きを簡素化し、市町村長にも要請の権限を追加、さらには災害派遣中の自衛官に対し、活動の円滑化を図るため新たな権限が付与された。

 自衛隊の運用の一元化については、それまでの大臣の指揮は陸・海・空各幕僚長を通じて行い、大臣の命令は各幕僚長が執行することになっていたが、改革により統合幕僚長が一元的に大臣を補佐し命令を執行することにした。

 このことにより省としての迅速な意思決定、総合的・効果的な部隊運用が可能となったのである。

 自衛隊の初動態勢については、陸上自衛隊は、常時全国規模で人員約2700人、車両410両、航空機28機の態勢を、海上自衛隊は、各地方総監部に艦艇1隻が2時間を基準に、哨戒機が昼間は15分から1時間、夜間は1~2時間を基準に待機する態勢を、航空自衛隊は、各航空基地において輸送機や救難機が昼間は15分~1時間、夜間は2時間を基準に待機する態勢を確立した。

 各地方自治体においても、防災計画の策定、防災訓練の実施、自衛隊との連携の強化などのため、現在では100を超える自治体が自衛隊退職者を防災管理官として採用している。

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車両の除染を行う自衛隊員〔AFPBB News〕

 それでは東日本大震災における初動対処はうまくいったのであろうか?

 地震・津波被害に対する人命救助については、極めて迅速・的確に行動できたものと考えられる。発災は3月11日14時46分、防衛省災害対策本部の設置は14時50分、岩手県知事の派遣要請は14時52分、最も遅い福島県知事の要請でも16時47分である。

 自衛隊は発災直後からヘリや車による情報収集を行い、自主的に派遣の準備にとりかかっていた。18時00分に大規模震災災害派遣命令が下達され出動、14日の時点では陸上自衛隊3万6000人、海・空自衛隊3万人、ヘリ96機、艦艇58隻という大規模部隊が東北・関東地区に展開したのである。

 4月18日時点における人命救助が1万4937人に及んでいることから判断しても、初動の活躍ぶりを窺うことができる。

 一方、福島原発事故への初動対処はどうであったのか。未経験のこととはいえ失敗したとしか言いようがない。第1に、水素爆発の1つの原因と言われているベントに関する混乱と遅れである。

 枝野幸男官房長官は、3月12日午前1時30分に東電に対し1号機のベントを指示したと、のちの会見で述べているが、午前2時20分時点における原子力安全・保安院の会見ではベントは考えていないと述べている。

 さらに福島原発の現場では1号機なのか2号機なのか混乱したうえ、ベントの作業を開始したのは視察に訪れていた菅首相が現場を離れた10時17分以降である。その結果、15時36分、1号機は水素爆発を起こしたのである。

 第2に、1号機原子炉内への海水注入の遅れである。18時00分には政府から海水注入の指示が出ているにもかかわらず、東電はあくまでも真水の注入にこだわり、海水の注入に踏み切ったのは20時20分以降である。その結果、燃料棒の溶融を加速させてしまったのである。

 第3には、電源車に関するトラブルである。23時25分の原子力安全・保安院の会見によれば、電源車さえ到着すれば冷却システムは回復するものと考えていたようである。

 しかしその後電源車は到着したものの、電源の不一致やケーブルの欠損等で十分に対応することができなかったのである。

 その後も対応は後手後手に回り、第3号機の水素爆発、プールの燃料棒の損傷、汚染水の流出等を招き、初動対処に失敗したと言わざるを得ない。

2. 指揮官の位置はいかにあるべきか

 作戦における指揮官の位置は重要である。指揮官といっても部隊の大小・役割により、さらに状況の変化に応じてその位置は異なってくる。一言で言えば、状況に照らして最も指揮容易な位置でなければならない。

 本震災発災以降における菅首相の位置は適切であったのか?

 12日早朝首相は、自衛隊のヘリで太平洋岸の被害状況を上空から視察するとともに、福島原発に立ち寄りその状況を確認した。この行動については賛否両論がある。最も重要な時に官邸を留守にすることの評価の違いである。

 筆者は、総指揮官が自分の目で現場の状況を確認することは極めて重要であると思う。しかしそれはあくまでも状況の確認であるべきであり、現場における陣頭指揮であってはならない。

 現場は現地指揮官に任せ首相が考えることは、まずは国力を結集して人命救助と被災者の生活支援をいかに行うか、そして原発事故の早期収束である。

 報道によれば、福島原発の現場や東電と政府との統合対策本部において、声を荒げて詰め寄る場面があったようである。

 「深沈厚重」という言葉があるが、指揮官の究極の品格とされている。どんな状況にあっても、深い水の中にどっしりと沈んでいる石のように泰然自若として真に頼りになる人物のことである。菅首相の言動を見るにつけ、一国の宰相としての力量に寂しさを感じざるを得ない。

3. 緊急事態における組織はいかにあるべきか

 政府は発災直後から本部・会議を乱立し、挙句の果てに学者ばかりの内閣官房参与を15人も採用、国民に震災に対する積極的な姿勢を見せつけたが、結節が増えただけである。

 原発事故における指揮(対応)も極めて不明瞭である。官房長官、原子力安全・保安院、東電の指揮関係や業務の役割分担は一体どのようになっているのか、会見を聞いても統一性に欠けバラバラである。

 さらに言えば、災害対策本部と東電との統合対策本部の関係、経産省の原子力安全・保安院と内閣府の原子力安全委員会との関係等、組織が有機的に機能しているとは到底考えられない。

 国家の緊急事態の時こそ、災害対策本部長である首相が一元指揮可能なシンプルな組織が必要である。今回の場合、中央組織としては官邸にある大規模災害対策本部の中を地震津波対策本部と福島原発対策本部の2つに大別して、その下に各省庁横断の連絡協議会を設置し、具体的な調整・審議はその場で行えばいい。

 東電はその組織の中に取り込み、必要があれば地方自治体の代表を加えればこと足りる。既存の行政組織をフルに活用すべきである。

4. 指揮官の決心とは

 指揮官の最大の仕事は決心であり、決心は指揮官固有の権限でもある。また指揮官は孤独であると言われているが、それは決心をしてその結果に責任を伴うからである。指揮官の代役はいないのである。

 決心で一番難しいことは、「いつ」「何を」決めるかということである。決めなくてもよいものを早めに決めてしまったり、逆に決めなければいけないものをいつまでも決めなかったりすることは、厳に戒めなければならない。

 指揮官にはタイムリーな決心が求められているのである。

 それでは、福島原発事故における「廃炉」に関する決心は適切であったのか。ベントの実施や原子炉内への海水の注入等に関する決心は当然あったものと思うが、最大の決心はいつの時点でどのような状況になった時に「廃炉」を決心するかである。

 結果論とのご批判を覚悟の上あえて申し上げれば、「廃炉」の決心の遅れは致命的であると言わざるを得ない。東電がその決心をして公表したのは3月31日になってからである。

 もう少し早く決心し対策を講じれば、現在のような最悪な事態を回避できたのではないか、残念でならない。

 「廃炉」の決心時期としては、津波に襲われ施設が5メートル水没した事故当初の時点、次に1号機に海水を注入した時点等が考えられるが、その適否については改めて検証すべきものと考える。

5. 原発事故対応は主動的に行われたのか

 作戦において最も戒めるべき作戦は、何の理念も目的もないその場しのぎの作戦、生起する事象に対処するだけの作戦、敵の行動に追随するだけの作戦であり、このような作戦を「状況戦術」と言う。作戦に当たっては、まず作戦目的、作戦目標を確立し、それを達成するための道筋を細部にわたり計画して、終始主動的に行動しなければならない。

 事故発生以降、どのようにして収束させるのか、その計画すらなく、その場しのぎのいわゆる「状況戦術」に陥ったのである。さらに、3月31日「廃炉」を決心したにもかかわらず、工程表が提示されたのは4月17日になってからである。

 しかもその工程表は極めて大まかなものであり、細部の計画は策定されているのか疑問を持たざるを得ない。

 原発事故の影響の大きさを考える時、1日も早い収束を期待したい。

おわりに

 東日本大震災について「想定外」という言い訳をよく耳にする。想定外のことを想定して万全を期することが危機管理であるが、この言葉は災害には通用しても「国家防衛」には通用しない。国が潰れてしまうからである。

 そんなことは起こるはずがない、と思っていた事が今回起こったのである。予算枠ありきで、その枠の中に見合った想定を設定することは防衛に関しては許されないのである。

 近年、防衛費は任務の拡大とは裏腹に減少の一途を辿っているが、今回の大震災の危機管理を良き教訓にして、去年策定された「防衛大綱」を根本から見直すことが急務である。

 また陸上自衛隊の役割は、国家防衛、災害派遣を問わず国民の生命・財産を守る最後の砦であり、人的戦闘力においてもその重要性が再認識されたのである。

 日本は元寇・ペリー来航・日露戦争・敗戦という4大国難を、卓越した国家観・歴史観、和の精神、武士道精神をもって見事に克服してきた。戦後最大の国難とも言うべき今回の震災も、日本人の底力で必ず乗り切れるものと確信する。

 最後に、不幸にして命を落とされた方々のご冥福を心からお祈りするとともに、被災地の早期復興と福島原発の早期収束を重ねて願うものである。
JBプレス http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/6169



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